ビルやマンション、一軒家が立ち並び、すっかり大都会となった大宮区。
ただ、そんな大宮区に数多くの古墳が残されていることご存じですか?
今回は大宮区に残された古墳群、側ヶ谷戸古墳群₍そばがいとこふんぐん₎を紹介します。
飛鳥時代に築かれた市内最大級の古墳群!
側ヶ谷戸古墳群は、さいたま市西部を流れる鴨川付近にあり、そのうちの5基が市の指定史跡となる大変歴史のあるものです。
特に、大宮区三橋4丁目付近で数多くの古墳が残されているのが特徴です。現在は数えるほどの古墳しか残されていませんが、発掘調査の結果、相当数の古墳が存在していたと考えられています。
また、多くのはにわが出土していることから側ヶ谷戸古墳群は6世紀から7世紀前半に造られたとみられます。そのときの日本は飛鳥時代で、なんと聖徳太子が生きていた時代となっています。
この地は歴史的なスポットとして、大宮二十景の「古代の風吹く稲荷塚古墳など側ヶ谷戸古墳群」に選出。現代に残された数少ない古代の風景を感じられるスポットとなっています。
実際に見ることができる4つの古墳
今回は実際にみることができる4つの古墳を訪ねてみました。
まず最初に訪れたのが台耕地稲荷塚古墳。こちらは側ヶ谷戸古墳群のなかで、最も南側にある古墳となっています。
着いてびっくりしたのが、一軒家が立ち並ぶ一角にぽつんと建っていたことです。住宅街を通っていたら急に現れたので、一瞬通り過ぎてしまいました。周りは家ばかりなので、ひと際存在感があって、異質な雰囲気を感じます。
墳頂へむけて参道がつながっていて、道中には鳥居が建っています。当時の偉人が眠っているんだなと感じ、身の引き締まる思いでした。
真夏を迎えるにつれ、古墳の周りにも背の高い草木が生い茂っています。季節の流れを感じるには絶好のスポットかもしれませんね。
次に訪ねたのが茶臼塚古墳。こちらは、実在する4つのなかでもっとも古墳らしさを感じるスポットです。
台耕地稲荷塚古墳と様子は変わり、あたりは田園地帯となっています。周りに背の高い建物がないので、とても見やすく、古墳の大きさを感じることができました。
こちらには、江戸時代に使われていたとされる石橋の石材が展示されています。実際にみるとそこまで大きくなく、当時の人たちはどれだけ危険な橋を渡っていたんだとちょっぴり心配になってしまいました。
今回訪れた古墳の中で一番衝撃を受けたのが、これから紹介する上之稲荷塚古墳。
こちらはもっとも小さい古墳です。かつては直径20メートルにもなる大きな古墳だったのですが、今は形を変え、ぱっと見るとすぐ隣に建つ家の庭に入ってしまったんじゃないかと思うくらい小さくなっています。
そして驚きなのは、こちらは個人の方が所有する古墳だということです。どういった経緯で個人所有の古墳となったのか気になり調べたのですが、どこにも情報があらず。ご存じの方いましたら教えてください。
市内最大の古墳は学校内にある!?
側ヶ谷戸古墳群のなかでもっとも大きい稲荷塚古墳。直径35メートル高さ5.9メートルにもなる巨大な古墳となっています。
市内で最大とされる古墳はなんと、学校の敷地内にあるんです。2019年に開校したばかりの大宮国際中等教育学校の校門そばにありました。
学校の敷地内ということで、近づくには許可が必要。今回訪れたタイミングは、多くの生徒が下校していた時間だったので、外からこっそりのぞかせてもらいました。遠目で見ても迫力がわかるほどの大きさです。
過去の調査では、大量のはにわや勾玉、そして校庭からもはにわや刀が出土しました。
歴史を感じるスポットがいっぱい!
側ヶ谷外古墳群周辺には、歴史を感じるスポットが数多く残っています。それらを案内する看板が設置されているので、ぜひ参考にしてお散歩してみてください。マップをみると、鴨川沿いには多くのスポットがあることがわかります。
それぞれの古墳には、古墳の保護を呼びかける看板が設置されていて、歴史を守っていこうとする意志を感じます。
今回は側ヶ谷戸古墳群を紹介しました。大都会・大宮にこれだけたくさんの古墳が残されているとは思いませんでした。
県内だと北部の古墳群が有名ですが、側ヶ谷戸古墳群も負けず劣らずの迫力があります。歴史散歩コースを参考に、ぜひ訪れてみてください。
側ヶ谷戸古墳群
住所:埼玉県さいたま市大宮区三橋4-96 さいたま市立大宮国際中等教育学校内(稲荷塚古墳)
アクセス:JR京浜東北線、川越線「大宮駅」西口より西武バス二ツ宮、馬宮団地行「大宮国際中等教育学校」下車徒歩約5分